Episode 3 「新人類」
「……っ」
慎吾は不快感から目を覚ます。
視界には剥き出しのコンクリートが広がっていた。それは天井で、壁も同様の部屋だ。隅には空き缶や鉄パイプが転がっていた。
遅れて、自分の状態の異様さに気づく。
「なっ、なんだこれ!?」
台の上に寝かされており、拘束具で磔にされていた。逃れようとしてもガチャガチャと音が鳴るだけで、外れる気配はない。
不安で満たされていると、何者かが扉を開けて部屋の中に入ってきた。
「お目覚めね、日浅慎吾」
女だ。艶やかな長い黒髪に整った顔立ち。スラリとした肢体には顔以外の肌を覆い隠すような漆黒のスーツを纏っていた。
「だ、誰だお前っ!? 何の目的でこんなことを……!」
「まず、私の名前は夜来有紗《やらい ありさ》」
見たことのない顔に聞いたことのない名前。そんな相手に自分が捕まえられる理由の見当が付かなかった。
それを感じ取ったのか、有紗はクスリと笑みを浮かべて告げる。
「こう名乗った方が分かりやすいかしら──noname、と」
「なっ……!?」
慎吾は驚きから言葉を失う。
彼にとっては意識を失う前に『XANA』内の『SAMURAI』で戦った相手だが、その時とは雰囲気が似ても似つかない。
「アバターと言っても、喋り方や声でも立派な情報になるもの。念入りに偽装をさせてもらったわ。実際、あなたの実名や所在地を割り出すのは容易かったのだから」
その言葉から、有紗は自身の情報が外部に漏れることを警戒していると理解する。
また、彼女は何か目的があって『SAMURAI』で挑んできたであろうということも。
けれど、やはりその詳細はまるで見当が付かない。
そんな慎吾に有紗はいよいよ突きつける、こうして捕らえた理由を。
「私の目的はただ一つ……それは、あなたの抹殺よ」
その言葉に慎吾は頭を金槌で殴られたような衝撃を味わった。
自分がそんな目に遭うなんてとても信じられずに問いを投げる。
「どうして……俺が何をしたって言うんだ……?」
「自分の異常性に自覚がないの? なら、ちゃんと説明してあげる。自分がどうして殺されるのかくらいは知っておいた方が良いものね」
有紗はせせら笑う。無知な子供に説明するような口調だった。
「私達、人間は脳細胞の働きによって意識が生じていて、その意識が脳を介して命令することで手足といった身体を動かしている。それは分かるわね?」
「あ、ああ……」
「けれど、今の『XANA』では脳波を用いることで脳が直接、メタバースのアバターを操作している。それによって脳は現実の身体への認識を変化させていくわ。身体《これ》がなくても世界に干渉できる、とね」
有紗は一体何を言おうとしているのか。
想像は出来ないが、慎吾は背筋に冷たいものが走るのを感じていた。
「それでも通常なら、僅かに現実の身体も動かしてしまう為、脳と身体に大きな乖離は生じない。しかし、あなたの場合は違う。あなたは現実の身体を一切動かさずに、つまり脳波が無駄なく完璧にメタバースのアバターを動かしている」
有紗は慎吾の頭部をコツコツと指で軽く叩きながら言った。
「『SAMURAI』であなたの敵はもはやいない。近頃はそれほどにアバターを自由自在に操ることが出来ていた。代わりに、『XANA』を止めると必ず、現実の身体に大きな違和感を覚えた。そうでしょう?」
「…………」
慎吾は彼女の言葉を噛み締める。
それは最近の不調、離人症状の原因を告げていた。
「端的に言うとあなたの脳は、本来唯一的に動かせるはずの自分の身体ではなく、その外側を動かすことに順応し始めているわ」
「……それは、何か問題があるのか?」
慎吾個人としては生活への悪い影響があるだろう。病院にかかるべきだ。
しかし、それによって自分が抹殺されなければならない意味は分からなかった。
「人間は誰しも自分の脳が予測した主観の世界を生きているわ。その上で、社会を生きる私達は日々お互いの認識を擦り合わせることで、共同主観として限りなく似た世界を構築している」
有紗の話の内容が急に転換したことで困惑するが、言っていることの意味は何となく理解できた。
「でも、それは本当の世界じゃない。詳しい説明は省くけど、本当の世界は常に量子力学における無数の可能性を重ね合わせた波のような状態。人類の共同主観が映し出している今の世界は可能性の一つに過ぎない」
並行世界、多世界解釈といった言葉が脳裏に浮かぶが、その詳細まではサッパリだった。
慎吾は付いていけなさを感じるが、有紗は更に話を続ける。
「プラトンは、肉体は魂の牢獄であると言った。あなたは今、その魂が肉体から離れようとしているような状態なのよ。意識が身体の外側、本当の世界へと干渉しようとしている」
「もう、いい加減にしてくれ! 一体、何が言いたいんだよ!」
慎吾は思わず声を荒げていた。これ以上意味不明なことを言われるのはうんざりだった。
「そうね、ここからは実際に見せた方が早いわ。あなたは異常な存在よ。でも、アバターを同じように動かせるのはあなただけじゃない。分かるでしょう?」
その言葉を聞いて慎吾は気づく。
自分の『SAMURAI』でのアバター操作が異常だと言うのなら、対等に戦っていた彼女もそうなのだ、と。
「あそこにある空き缶を見ていなさい」
有紗は部屋の片隅に転がっていた空き缶を指さした。
何をしようというのか。疑問に思いながらも注視する。
「…………」
有紗は無言で手のひらを向けた。それだけだ。
しかし、すぐに驚くべき現象が生じる。
「なっ……!?」
空き缶が浮き上がったかと思えば、指向性を持って飛んでいき、彼女の手の中に納まったのだ。
更にそれは少し浮き上がると、何もない宙で強力な圧がいくつもの方向から加わったように潰れた。
有紗はぐしゃぐしゃになった空き缶を掴んで言う。
「どう? これで私の話を信じる気になったかしら?」
「ちょ、超能力者……?」
慎吾は陳腐だがそんな言葉しか思いつかなかった。
それに対し、有紗は呆れることもなく頷いて見せる。
「ええ、古来からそんな風に言われてきた人達は恐らく、同じことが出来たのでしょうね。でも、今みたいな現象はあくまで枝葉に過ぎないわ。この能力の本質は、共同主観的な世界の改変にある。私の意識がさっき話した本当の世界に干渉することで可能になるの」
「…………」
慎吾は再び言葉を失う。
トリックがあるのかもしれない。単なる手品なのかもしれない。
けれど、そこには凄みがあった。真実なのだと直感的に思わせる何かがあった。
「私とあなたは新人類の先駆け的存在よ。『XANA』はね、人類に進化を促すことで世界を次の段階へと押し上げることを目的としているわ。桃源郷《ザナドゥ》を由来にしている通りに。この能力こそがその証」
有紗は驚きの秘密を明かす。『XANA』にそんな裏があるなんて聞いたことはなかった。
同時に一つの疑問が浮かぶ。
「な、なら、俺は求められているんじゃないのか!? どうして殺す必要が──!」
慎吾が言い終える前に有紗は首を横に振った。
「残念だけど、新人類の誕生を望む勢力がいる一方で、そうなって欲しくない勢力もいるの。世界の変革は今の利権構造を大きく変えてしまうから」
それはつまり、有紗は新人類の誕生を望まない側に与している、ということ。
「そんな……」
慎吾が絶望の吐息を漏らす中、有紗は冷徹に告げる。
「以上が、私があなたを殺す理由よ。それじゃ、さようなら」
彼女の手が慎吾の首を掴んだ。
あの空き缶と同じように潰されてしまうのか。それとも、そのまま力を込めて絞め殺されてしまうのか。
どちらにせよ、死が眼前に迫っていた。初めて体験する恐怖に全身の肌が粟立ち、意識も思考も何もかもが凍り付く。
「ッ……!」
その中で慎吾が本能的に希求したのは、生きること。
それは知らず知らずに『SAMURAI』でnonameと戦っていた時と同じような没入状態へと導いていた。
咄嗟に脳裏に思い描いた光景が現実となる。
「あぐぅっ……!?」
気づけば、有紗の身体がピンポン玉のように吹き飛んでいた。壁に激しく叩きつけられて、地面に打ちつけられる。
慎吾は初め、自分が何をしたのか分からなかったが、少しして思い当たる。
「本当に、俺にもこんな能力が……?」
半信半疑だったが、すぐに有紗が起き上がってくるかもしれないので悠長にはしていられない、と慎吾は自分の両手両足を封じている拘束具が外れる様をイメージする。その感覚は『XANA』でアバターを動かす時と同じだと思えた。
瞬間、拘束具が何の抵抗もなくするりと外れた。慎吾は自由の身となる。
自分の能力に確信を深めながら、寝かされていた台から降りて立った。
それと同時に、有紗が痛みに顔をしかめながらも起き上がる。
焦った慎吾は彼女へと片手を向けて叫んだ。
「う、動くな! 動くと次は、もっと酷い目に遭わせるぞ!」
有紗を殺すような覚悟はなかった為、自然とそんな言葉になった。
この能力を用いれば容易いのかもしれない。それでも、そんなことがしたいはずもない。だから、これ以上何もしないでくれ。
慎吾はそう願うしかなかった。
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