Episode 1 「理想郷」
僕達の住んでいる世界は、平和で、争いらしい争いのない楽しい世界だ。
それが当たり前とされたのは、どうやら僕の生まれる前らしくて。
人々はその世界のことを、XANAメタバース……、理想郷と呼んでいる。
朝起きたら、自分の好きな姿になって、好きなものを食べて、好きに勉強する。
そんな当たり前なことを、幸せと言っている人達の意味が、僕には理解出来なかった。
だって、生まれた時からその幸せの中にいたから、当然のことだったんだ。
でもそれは、第二世代だから、らしい。
第一世代からすると、この世界に来るまで、ネガティブな世界で大変な思いをしたらしい。
地球という世界が、終わりに向かって行くというのを、肌で感じていたのだと第一世代の人達は皆よく口にする。
苦しみから解き放たれるために、理想郷たるXANAメタバースが作られ、またそのポジティブな世界というものに行くためのシミュレーションをされていたのだとか。
今、世界としてはネガティブな世界とXANAメタバースの世界とは分断されているそうだ……。
でもそれを確かめるには、僕には勇気がなかった。
今ある幸せを、何故わざわざ不幸に向かうようにしなければならないのか。
中には、不幸を知ることで幸せを噛みしめるという意味の分からない人もいるけれど……。僕は、そうはなりたくなかったな。
だけど何でだろう。僕は世界を知らなければいけないようになっていた。
そう、世界が決めていたんだ。
そしてそれは僕と君の願いだったんだよね。
違和感の正体を、僕達は後に知ることになるんだ。
今、それがわからなくても、必ずそれは訪れる出来事だから。
「おはようございます。ケイさん」
AIが僕を起こしてくれる。可愛らしい黒髪の女の子の姿をしているが、この子は人間じゃない。人工知能のAIで、この世界では皆にある「機能」の一つ。
「おはよう。何かメッセージとか届いてる?」
適当にアバターを変えながらAIに聞く。
AIは僕におすすめのアバターを教えてくれながら、届いているメッセージなどを探してくれていた。
「今日は、ハルカ様から届いています。『今日は何を学ぶ? そういえば変な噂があったから、その詳細を送っておくね』とのことです。ハルカ様は、ケイ様の恋人として、本当に優れた方でいらっしゃいますね。だってこんなにも熱々で……」
「そういうことは言わないでいいからっ! でも変な噂って何だろう……」
学ぶことは当然のことで、楽しいこと。だからいつものように興味のあることを勉強すればいいのだけれど、何故だかその時は「ハルカ」というAIが選んだ僕の「恋人」からの変な噂の方が気になったのだった。
メッセージに添付されているその詳細を空間に広げて見てみると、どうやら昨日の日付で動画が撮られていたらしい。再生してみると、そこには第一世代のアバターがあった。
どうしても第一世代と第二世代ではアバターに違いが出て来る。でもそこがまた味があっていいとか言われるのだけれど、僕には理解出来ないところだ。
それで、何だろう……?
この第一世代は、恋人同士……? AIもいないけど、なんだろう。
「世界の崩壊がもうすぐだって」
「知ってる。生まれてからずっと居た地球の終わりの日が近い」
「XANAメタバースにも亀裂が入っていたよ。すぐに管理者達に言ったから問題はなかったけれど……」
「アセンション前の世界だから、綻びはあっという間に広がるんだろうね」
アセンション前の世界……? それって、大分前に分断されて行き来が出来なくなったって聞いたんだけれど。
そもそもその世界、存在するんだったかな?
存在していたとして何か意味でもあるの?
そう思いながら動画の続きを見ていたけれど、今度は他の人達を映していた。
今度の人達は第二世代の人達だった。
「……あれが元々住んでいた世界? ありえない。ありえない」
そう言うと、アバターが一部荒れていた。壊れかけている。
余程、精神に繋がる部分に負荷が掛かったらしい。
あれはもう修理しなくちゃ直らないだろうなと、他人事だからそう思えた。
「人間なんてやってるんじゃなかった。この世界から出なければよかった。あの、エリアには、近づかない方が――」
画像が乱れ、そのまま動画は終わった。
僕はそのまま家を出て、ハルカの待つ公園に行く。
常に四季の草花が綺麗な、和風のマップ。
まあ、四季の草花と言っても皆最高の時をそのままごっちゃに置いているだけで、四季の移り変わりのデータがまだ実装されていないだけらしいのだけれど、このままでも十分綺麗だ。
「ケイ! おはようー!」
やってきたのは可愛らしいアバターの女の子。
僕の彼女、ハルカ……。
「ああ、ハルカ。おはよう」
笑顔でそう言うと、ハルカもにこっと微笑んでくれて、その後にわくわくとしながら口を開く。
「動画見てくれた?」
「見たよ。何? あの前の世界がどうとか……」
僕は正直な感想を言った。
するとハルカは僕に抱き着きながら、笑っている。
「知らないのー? 遅れてるなぁ!」
悪戯っ子みたいに笑うその表情も好きだ。
でも僕の口は正直には言ってくれないらしい。
「何だよ。自分は知ってるからって」
こんなことじゃ、いつか別れられてしまうような気がしたが、そんなことを考えてはいられない。
大事なのは今だと思うからだ。
「んー、でも知らないのは本当に遅れてるかも。この辺りではこの手の……『旧世界の綻び』の噂でいっぱいだよ」
AIを見てみると、AIは「その通りです。現在64%の方々が噂を知っています」と言った。
「ねえねえ、綻び、見に行ってみない? 中に入れば見れるらしいよ! た、だ、し……」
「ただし?」
「一回見たら、戻って来れなくなる可能性があるんだって。なんだか、ゾクゾクしない?」
さも面白そうに言ってくるハルカ。でも僕はなんだか嫌な感じがして「遠慮しておく」とだけ言っておいた。
「そっか……。じゃあ、私だけ行ってみようっと!」
「やめとけよ。怖がりな癖に」
そう。ハルカは怖がりだからこの世界の薄暗いところでさえも行けないのだった。安心安全な世界なのに。
「そんなことないもん! それに、面白かったらケイにも教えてあげられるでしょ? 幸せは、分かち合わなきゃ! じゃ、早速行ってくるね! 綻びの場所が見つかったら明日の朝に届くメッセージに入れておくから! あ! 今日、ランドの方が更新されるって! 帰って来たら一緒に行こうね!」
凄い速さでそんなことを言って、ハルカは世界の綻びとやらを探しに行った。
「思ったらすぐ行動しちゃうんだよなぁ。ハルカ……。AI、行こうか」
「はい。ケイさん」
それから一日が過ぎて、何事もなくこの噂については終わりだと思っていた。
でも、それは違った。
なんだか一日の終わりに恐ろしいことが起きそうな予感がしたんだ。
予感というより、悪寒かもしれない。とにかく、嫌な感じがした。
でもそれが何に対してだったのかはわからない。
僕は悩みながらも、まあ、大したことはないなんて思い込もうとしたのだから。
……本当に、愚かなことだ。
僕はそうしているととてもじゃないけれど、自分のことが嫌いになりそうだった。
それは、次の日にわかることだった。
「おはようございます。ケイさん。ハルカ様からメッセージを預かっております」
「何?」
そこには、ハルカからの助けを求めるメッセージがあった。
「綻びなんて、探すんじゃなかった。あの世界は荒廃としている。第一世代の、生まれたところ。私も、目を、覚ました……」
そう送られてきた。
音声ファイルで、いつもの可愛らしい声じゃなくて、どこかカラカラと乾いた声だった。
? 音声ファイルが壊れたのだろうか。
とりあえず、綻びのあるところにでも行ってみよう。
そっちの方にハルカが居るみたいだから。
なんだか不安感がいっぱいで、この世界ではありえないくらい、心臓の鼓動がうるさかったのを覚えている。
いつもは聞こえないのに。どういうわけだか、今はとてもよく聞こえるのだった。
そして僕は、ハルカの居る綻びのあるところに来たのだけれど、そこは平和とは言い難いところだった。
壊れたデータの溜まり場みたいなところなのか、古い第一世代のアバターが置かれていたり、マップのグラフィックの一部が置かれていたりと、混沌としていた。
そして大きな風穴のようになっているところがある。
僕はこれが綻びだと思い、そこを覗いた。
そこには、僕と同じような、でも、もっと立体的で、昔見た「本当の人間」が居たんだ……。でも昔見たって、いつ見たのだろうか……。
忘れてはいけないことを忘れている。そんな気がすると同時に、気づけば僕はその風穴に吸い込まれた。
AIはそんな僕を置いて、世界に残っている。
でも、そうだな。ハルカのAIも居たから。
ハルカを助け出して、ちょっとしたヒーローにでもなれたらいいな。
そしてまた笑い合えたら、それだけでいい気がした。
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