僕とメタバース
僕とメタバース
Chapter 1
/ Episode 3 3話「現実の僕と彼」
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「ねえ、ヘヴンどうしよ……」 鏡の前に立ちながら僕は自分の姿を眺めた。 《素敵だと思いますよ》 ヘヴンはそういうけれど、今の僕は金髪でもないし、きらきらの大きな瞳もない。ブルーのジャケットなんて持ってもいない。あるのは黒髪で安いパンツとシャツを着ているダサくて、痩せっぽっちで、惨めな自分だけだ。朝から繰り返し、こぼれ落ちるため息。彼のことはよく知っている。たった数ヶ月でも、彼がどれほどに優しい人かということはわかっているつもりだ。こんな僕を笑う人ではないということも、きっと受け止めて友達として接してくれるということも。 それでもまだ——全てを信じることができない自分がどこかにいる。つくづくそんな自分に嫌気はさすけれど、それでもこれが僕でこの僕を変えることはきっとできそうにない。 時刻は十九時半、ハチ公前。どう考えても早すぎるなと思いながら、白のカッターシャツと白のパンツの彼を探す。ここは待ち合わせの人で溢れていて、みな瞳をきらきらとさせながら人を待っている。みんな身綺麗にして、髪の毛をきっちりとまとめて。僕はそんな人の中でぽつりと小さくなって彼を待っていた。頭の中を繰り返しよぎるのは、このまま帰ってしまおうかなんていうずるい思考。いやいや、彼に迷惑をかけるとなんども思い直しても、その思考はまた泥のように塗りたくられる。一秒でも早くこの場所から逃げられるなら、なんだってできるような気がした。 「ふう……あっつい」 汗をぬぐいながら、隣に鈴がなるような声の男の人がハチ公にもたれかかる。ああ、彼だ。そうだ。僕はその声ですぐにその人が彼だということがわかった。視線は俯いたまま、ゆっくりと彼の方に向ける。白いパンツ。仮想世界と一緒ですらりとしている脚、お洒落で高そうな靴。それから身長も高い。横目でチラリとみれば、整った顔に金髪のパーマがかかっている。大きな瞳に、いかにも好青年って感じの自信のある表情。まぶしくて、太陽みたいな——ああ、泣きそうだ。なんで、僕はここにきてしまったんだろう。じんわりと涙がにじむのを必死にこらえながら、僕は深呼吸をした。声を、声をかけなければ。なんて言おう、なんて言えば彼が喜んでくれるだろう。面白いと彼が笑ってくれるだろう。頭の中でぐるぐると言葉が回っている。けれど、言葉は喉の奥にひっついて出てきてくれはしない。かわりに涙が滲んでくる。ああ、もう、どうして自分はこんなにも惨めで情けないのだろう。 そこからのことはあまり覚えていない。僕は結局彼に声をかけることもできず、逃げるように帰った。彼はどれほど僕を待ったのだろう、仮想空間にも探しにきてくれたのだろうか。なんてひどい迷惑をかけてしまったのだろう。最低で、救いようのない自分に吐き気がした。もう、二度と会うことのない友達。たった一人の、僕が信じることができた人。でも、自分でそれを裏切ってしまった。最低、最低だ。僕は彼との接触をさけて仮想空間を行動するようになった。彼とは二度と会わないつもりだったけど、一度だけ彼に仮想空間で謝罪のメッセージを残した。許してほしいわけではない、ただ自分の自己満足だったのだと思った。 あれから——僕が彼を裏切ってから数ヶ月の月日が経とうとしていた。仮想空間はもちろん居心地の良いもので、現実世界で疲れた時ふらっと遊びにきては一人で花火を見ることがあった。あのときは友人と二人で見ていたが今は一人の景色だ。それもまた、悪くないとは思う。彼に教えてもらったゲームでは、僕は仮想通貨を多少なりとも稼ぐことができるようになっていた。 「ねえねえ、プールに遊びに行こうよ」 「うん、いいね、いこうか」 僕に声をかけてきてくれたのは、彼と前に一緒にあった女の子だ。あの機会があって、今でもこうやってときどき遊ぶことがある。もちろん、彼女以外のこの世界の人とも遊ぶ機会も増えた。こうやって、実際に遊んでみると、自分にはこういう誰かと関わる経験が足りなすぎたのだと思う。もちろん現実世界の自分を見たらきっと幻滅するだろうけれど、僕は今は現実世界の僕ではないから彼女の手を取ったりすることもできる。相手の喜ぶことが何かということを考えることが多少はできるようになったのかもしれない。手を繋ぐと、彼女は嬉しそうに微笑んだ。 「——ねえ、きみ!」 不意に、声が聞こえた。声は僕の腕を勢いよく掴んだ。僕は、それがだれか顔を見なくてもわかった。だって、その声は鈴がなる様な優しい声だったから。 僕は振り向かなかった。彼の方を見なかった。彼女の腕も彼の腕も振り払って、走って逃げた。こんなにも早く自分が走れるなんて思いもしなかったと思いながら、いやいやこれはアバターだから当たり前かと思い直した。本当に僕はバカだ。バカで、いつもいつも逃げてばかりで。最低。最低。 「きみ……! ねえ、きみ!…