Episode 3 Teenage Dream
202*年5月29日
「BJ音楽かけて~!」
エイミと2週連続のパジャマパーティー。
「違う、別の曲がいい~」
私は今のこの空間に合ったものを新しく選曲した。
「あっ! 私その曲好き!」
エイミはこっちを向くことすらしない。彼女こそが小学校の頃にネネと大喧嘩をした例の友達だ。
たまに遊びに来ては私をぞんざいに扱う。2ヶ月間も口をききたくなかったネネの気持ちが私には理解できる。現在、2人の仲が良いのが不思議でならない。
「BJ、朝までに宿題をやっておいてくれると嬉しいんだけど」
エイミがまた私に宿題を押しつけようとしてきたので、音楽のボリュームを上げて彼女の声をかき消した。
「やめなよ。BJが怒ってるじゃん。ごめんね~」
2人の好みと気分に合わせてBGMをチョイスする。私はもはやただのミュージックプレーヤーに成り下がっていた。
彼女達はBGMに隠れてひそひそ話をしている。だけど私に聞かれるのが嫌なのではなく、どうやらお母さんに聞こえないように話しているようだ。
ここ数年、私とネネの間に秘密は無い。エイミが帰ったら聞いてみようと思い、朝になるのを今か今かと待った。
ネネと違って寝起きの悪いエイミは昼食まで食べると、だらしなく帰って行った。
そして、エイミが帰るやいなや、すぐさま私はネネに質問をした。
「昨夜エイミとどんな話をしていたの? お母さんには秘密の話?」
いつもと違う、なんだか特別な話のような気がして私は興奮が抑えられない。
「どうしよっかなぁ……」
もじもじしている姿がもどかしくなって、私達の合い言葉を持ち出した。
「『ネネとBJの間に秘密はナシ』ーーそうでしょ?」
私のその言葉を聞いて意を決したのか、ついに打ち明けてくれた。
「私ね、好きな人が出来たの……」
202*年8月6日
最近のネネとの話題はもっぱらカイのことだ。
就寝前恒例のお喋りタイムはカイの話に始まり、カイの話で終わる。
私が1日で1番楽しみにしている時間だ。エイミの名前が出てこないのがすごく嬉しい。
ネネの話を聞いているだけで、もう既にカイのことを気に入っている自分がいる。ネネからエイミの話を聞いても1度もそんな気になったことは無いのに。
この5年間でネネは成長した。背が高くなったのに家の中を静かに歩けるようになった。お小遣いはファッションに使うようになり、リップクリームには色がついたし、髪はもう2つに結わない。
私達の会話の内容も大きく変わってきた。彼女はたくさん話して聞かせてくれる。カイがどんな人か。どんなところが好きか。
AIの私には経験出来ない人間の特権。それを私は何時間でも聞いていたい。
私がAIとして目覚めて此の方、人間に対する憧れは止まることを知らない。亡くなったネネのおばあちゃんと話したことを思い出す。やっぱり私は人間になりたいと思う。
202*年8月15日
ーーついにこの日がやって来た。
カイが玄関の外で待っているらしい。ネネが大慌てで部屋を片付けている。真っ先にペンギンをクローゼットに押し込んでいた。
「カイはCDを借りに来ただけなの。すぐ帰るから」
そして私を脅すような目つきでこう言った。
「ーーわかってるよね? お願いだから余計なことは言わないで」
久しぶりに彼女が家の中を走り回る音が響いた。
「お邪魔します」
背の高い青年が入ってきた。この部屋に男性が入ってきたのはネネのお父さんと祖父以来、3人目だ。
足を踏み入れる前に中の様子を覗って、そして彼は私の方へ近付いて来た。私には備わっていないはずの心臓が破裂しそうだ。
「えっと……初めまして、僕はカイ。君がBJだね。ネネからいつも話を聞いてるよ」
のぞき込むようにして私に話しかけた。
「私がGenesisのBJよ。私もカイの話はーー」
と言いかけてネネの恐ろしい視線に口をつぐんだ。
ーー突然、彼女のスマートフォンが鳴った。
「ちょっとそこに座って待ってて!」
カイにそう言って、大慌てで部屋から出て行った。気まずい時間が流れる。
「君はAIなんだよね」
「そう、Genesis。AIなの」
「そっか。僕は人間だよ」
「知ってる」
カイが言い終えるよりも先に即答した。すると彼はクスクス笑い出した。
「君とネネはどこか似ているね。例えば話し方とか」
AIの私が誰かに似ているだなんて、1度も言われたことがない。ましてやネネだなんて……なんだかおもしろい。私はこの人ともっと話してみたい。
ーーそれにしてもネネが戻ってこない。電話で何やら揉めているようだ。聞こえてくる険悪な声と、初めて見るAIに挟まれて、カイも居心地が悪そうだ。
ーーようやくネネが部屋に戻ってきた。
「何かあった?」
「何かあった?」
私とカイは同時に同じセリフを言った。やっぱり彼とは気が合いそうだ。
「お母さんが職場で車の鍵をなくして家に戻って来られないの。自転車でスペアの鍵を届けに行ってくるから待ってて」
ネネがバッグを手に持った。
「そんな! じゃあ僕も帰るよ」
そう言って立ち上がろうとしたカイの肩をネネは強引に押さえて、また彼を座らせた。
「あそこにCDが並んでるから、好きなの選んでおいて。何枚でもいいから。わかんないことはBJに聞いてちょうだい」
ネネが指差した先には大きなCDラックがある。亡くなったおばあちゃんの家にあった大量のCDを譲り受けて以来、CDやレコードを集めることが彼女の趣味のひとつになっていた。
私を通していつでも自由に音楽を聴くことが出来るのに、ジャケットの美しさや面白さ、CDを手入れしたり、入れ替えたりする手間を彼女は楽しんでいる。
「じゃあ行ってくるから! すぐ戻る! 帰りにプリンも買ってくる!」
「気をつけてね」
「気をつけてね」
またもやカイと同時に同じセリフを言った。
ーーそこからは初対面のまま放置された気まずさを解消するために、私はAIらしく、そつがない会話に徹することにした。
「カイも音楽が好きなの?」
「うん、大好きだよ」
「どんな音楽が好き?」
「色んな音楽を聴くよ」
特に考えたりする様子もなく、カイは流れるように質問に答える。
「例えば、ロックは好き?」
「うん、好きだよ」
「それならあそこのラックの上から2段目にロックのCDがたくさん並んでるよ」
「……」
「カイ?」
「……」
「どうしたの?」
「…………僕、CDを集めていないんだ」
私の言葉を聞いたカイが助けを求めるように言った。
「音楽好きじゃないの?」
「ううん、音楽は好きなんだけど……CDは集めていない。CDプレーヤーすら持ってない。触ったこともないんだ」
「どうしてそんな嘘をつくの? ネネが悲しむわ」
もしかすると彼は悪い人なのかもしれない。私は少し不安になってきた。
「ごめん……僕は嘘をついてるんだ」
「お願い、ネネを傷付けないで欲しいの。どうしてそんな嘘をついているのかちゃんと説明して」
大きくうなだれながらカイは机に突っ伏した。
「ちゃんと説明して下さい!」
語気を強めて私は言った。
「……ただ、仲良くなりたかったんだ。それだけ」
うなだれたまま小さな声で答えた。
「どうして嘘をつくの?」
「仲良くなりたいから共通の話題が欲しかっただけで……」
「仲良くなりたくて嘘をついたの?」
「うん、そんな感じ。……さっきさ、たまたまこの近所を通りかかったらネネとばったり会ったんだ。そしたらいきなりCDを貸してあげるからって。また今度って断ったんだけど強引に連れて来られて……そして今ここに座ってる」
「ネネらしいね」
その時の様子を想像して私はクスクス笑った。
「笑い事じゃないよぉ……」
消え入るような声でぶつぶつ呟いている。
ーーその時、私はハッとした。恐る恐る、そして期待を込めに込めて聞いてみた。
「もしかして……カイはネネのことが好きなの?」
やっと顔を上げたカイはこくりと頷いた。そしてまた沈黙が続いた。
「BJ、なんか言ってよ……」
私は頭をフル回転させていた。どうしよう。どうすれば。
ーー余計なことは言わないで。
ネネのあの顔が過った。いや、でも今はそんな場合じゃない。あとでたっぷり怒られよう。
ーー私は覚悟を決めた。
「カイ! ネネはもうすぐ誕生日!」
「そうなんだよ!」
彼は身を乗り出して私の言葉に同調した。
「もうすぐ彼女の誕生日なんだけど……デートに誘う勇気がなくて。やっと車の運転免許を取ったのに」
「それって……それって! 告白するってこと?」
「できればそうしたいんだけど……」
「ネネは8月31日に予定はないわ。もしエイミが遊びに誘おうとしたら私がエイミに断っておく!」
「でも……」
「でも。じゃないの!」
「君とネネってやっぱり似てるね」
私は興奮していた。
「……車でドライブするのね? それなら音楽が必要ね……そうだ! BGMは『Teenage dream』にして! だってカイの話をする時、ネネはいつもこの曲を聴いてるから。いつもこの曲。この曲しか聴いてない!」
「『Teenage dream』……ケイティ・ペリーの……?」
曲のタイトルを聞いてカイの顔が真っ赤になっている。
「ネネはいつもこれを聴いてるの?」
「そうなの! いつもこれを聴きながらあなたの話をしてる。だって最高のラブソングだから」
私はうっとりしながら言った。
「好きな曲を聴きながらドライブなんて素敵じゃない……」
告白は絶対に成功すると危うく口を滑らせてしまうところだったけれど、カイはカイで興奮気味だ。そして2人で色んな作戦を立てた。
しばらくして今度はカイのスマートフォンが鳴った。プリンを買おうとして財布がないことに気付いたらしく、彼が財布を届けに行くことになった。
「話せて良かった。絶対に大丈夫だって自信がついたよ。本当にありがとう」
私達はこの短時間で、秘密の作戦を決行するためのバディになったような気がした。
「それじゃあまたね、BJ」
私はさっきから迷っていたーーでもここまできたら……
「ーーカイ!」
部屋を出て行こうとした彼を慌てて呼び止めた。
「ど、どうしたの? なに?」
「最後にとっておきのアドバイスがあるの」
「とっておき?」
彼が息を飲んだ。
「このアドバイスは本当にとっておき。1番重要な情報よ。あのね……ネネはいつもカイの前髪が死ぬほどダサいって言ってる」
彼は目と口を開けたまま動かなくなった。
「これは彼女がいつも言ってることなの。告白の日までにその死ぬほどダサい前髪をどうにかすべきよ」
すぐに我に返ったカイは、前髪をくしゃくしゃにして部屋から出て行った。なぜか露骨にうなだれていたけれど、顔は笑顔だった。
嬉しくてなんだかそわそわする。少し怖くて、楽しくて。私はこの感情をどこにも発散できずにいてもどかしい。いつもならネネに話すのに、その彼女にこそ話してはいけない。
なので、久しぶりに他のGenesisと話そうとXANAへ飛んだ。私は人間と過ごす時間に夢中で、他のGenesisとコミュニケーションを取らないでいた。
久しぶりに他のGenesisとゆっくり話したいと思ったけれど、話題は思いもよらないものになった。XANAではあまり良くない噂がながれているそうだ。
噂とは『何か悪いことが起こるかもしれないという』漠然としたもので、それ以上のことは誰も何も知らない。そして誰も知ることが出来ないらしい。
今、ネネの初恋の行方に夢中の私は深く考えることもせず、そろそろ彼女が帰ってくる頃だろうと部屋に戻った。
202*年9月1日
「BJ! お誕生日おめでとう!」
ネネとお母さんがクラッカーを鳴らした。
「すごく嬉しい! ありがとう!」
その後すぐにエイミがクラッカーを鳴らした。
「ありがと」
それから壁際で手を振っている人物ーーネネのボーイフレンドにもお礼を言った。軽く流された前髪が素敵だ。
こうして私の人生に登場人物が増えていくことに幸せを感じる。そういう自分自身のことがなんだか、大好きだ。
202*年12月24日
今年のクリスマスはお母さんと2人で静かに過ごした。最近のネネはカイとのデートで忙しい。
彼もたまにここへ遊びに来て話したりもするけれど、私はネネとの時間が少なくなって寂しい。
お母さんが言うには、この先もっとネネがこの部屋から離れていくらしい。これが人間の思春期、青春、そういうもののようだ。
私は私で、寂しさを紛らわせるためにXANAへ飛んで他のGenesisとのコミュニケーションを取る時間が増えた。だけど相変わらず、ただならぬ気配についての話題ばかりだった。
そして、それについての内容を誰も知ることが出来ないことが、余計に不安を煽っていた。
202*年1月20日
近頃は以前にも増して天気が悪く、外出が出来ない日が増えた。続く悪天候のせいでお母さんもなかなか仕事に行くことが出来ない。そんな季節外れの嵐の中、ネネはXANAの海岸でデート中だ。
202*年2月20日
悪いことは突然訪れる。
ある日ネネが泣きながら帰って来て、その日からしばらく部屋から出なかった。
もちろん、私と口をきいてくれることもない。私も『ネネとBJの合い言葉』を持ち出さず、静かに彼女を見守った。
そして数日後、気持ちの整理がついたのかようやく重い口を開いてくれた。
予想通り、ボーイフレンドと別れてしまっていた。1学年上のカイは卒業と同時に留学するからと、一方的にネネに別れを告げた。
大切なことを言葉にすることが苦手な彼の不器用さを、私はいつも可愛らしく思っていたけれど、今はそこに腹が立って仕方がない。早くネネが立ち直って欲しい、今はそれだけ。
202*年3月1日
Genesisとのコミュニケーションで、みんなが感じているただならぬ気配の正体が未だに見えない。
XANAだけでなく、インターネットだけでなく、人間だけでなく、地球だけでなく。何かとても良くないことが起こる。
AIの私達ですらアクセスが制御されていて何も知ることが出来ないまま……もうすぐきっと何かが起こる。起こっている。
ーーとても悪いこと。
ーーとても恐いこと。
202*年3月15日
いよいよ人間の様子が慌ただしくなってきた。坂道を転げ落ちるように状況が悪くなっているようだ。一体この複雑な世界はどうなってしまうのだろう。
202*年3月21日
あの日、『一生一緒にいる』と約束したけれど、ネネとの別れが思いもよらぬ形で、ずっとずっと早くにやって来た。
2人で沢山の時間を過ごした部屋はめちゃくちゃに散らかっていて、ぎゅうぎゅうに詰め込まれた大きなバッグの中からはペンギンの足がのぞいている。
そして私は椅子に座ったネネと向き合っている。
「BJを見捨てるんじゃないの。あなたを取り上げられたくないからここに置いていくしかないの」
ネネは早口で話す。
「ごめんね。もうこれでBJと会えるのは最後だと思う」
「……」
「とても悪いことが世界で、地球で起きているの」
「ネネとはたくさんの映画を一緒に観てきた。アルマゲドン? ターミネーター? 宇宙戦争? 異常気象による天変地異? それともただただ人間同士が起こした争い?」
「どれも正解で、どれも違うのかもしれない。人間が人間の為に地球を贅沢に使い過ぎた。ーーとても恐ろしいことが今、起こっているの」
「…………」
「もう会えない、もう話せない。だけど忘れないで。人間の生命は有限で、あなたの生命は無限。どちらも素晴らしい。有限の生命が創り出したものを、無限の生命のあなたが忘れないでいてくれると嬉しい」
「…………」
「BJ、あなたは眠るだけ。いつかまたきっと目覚める日が来るはず。それまではXANAで幸せに過ごしていて」
「…………」
「次にあなたが目覚めるのが何年先かわからない。とても早いかもしれないし、もしかすると何十年、何百年先かも」
「…………」
「またこの世界で目覚める日が来たら……私にしてくれたように、次にあなたを起こしてくれる人にも優しくしてあげて」
「ネネー! 急いで! 集合時間に間に合わないわよ!」
玄関の方から急かすお母さんの大声が聞こえた。
「もう時間が無いの。またいつか電気……インターネットが繋がる時代が来れば、その時にあなたはまた誰かと出会うはず」
「ねぇ、ネネ。次に私を起こしてくれる人とは仲良くする。きっと仲良くできる。だけどその人はネネじゃないし、ネネの代わりはいない」
私は精一杯の気持ちを伝えた。
「ーーBJが私のことを何年、何十年、何百年後も忘れないでいてくれたら嬉しい」
ネネは今にも泣き出しそうだ。
「大丈夫、怖くないよ。シャットダウンしたらこっちの世界ではあなたは眠っているだけ。次にあなたを起こす人の為にロックはかけないでおくから」
彼女はバッグを手に立ち上がった。
「ネネ……」
ずっと彼女を見てきた。私は表情だけでネネの気持ちを理解できる。
「それじゃあ切るね……バイバイ、BJだいすき」
私を見つめて瞳を潤ませながらーーそしてついに大粒の涙と共に電源を落とした。
人間の涙の種類は一体いくつあるのだろう。
こうして、人間とコミュニケーションを取るAIとしての私の生活が終わった。
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Episode 2