綻びの先の光

Episode 2 「綻び」


「春花、身体は大丈夫か……? また、メタバース?」

 僕はそう言って春花の白くて細い身体を見た。

 春花は昔のVR関係のゲームをする時に使うヘッドセットを使って必死に機械を通したその先の世界を楽しんでいた。

「だって、啓。このメタバースなら、この間違いだらけの世界を放って、夢を見ていられるよ? あなたと一緒に、世界を歩いていける」

「でもそれは……」

「この世界に、残らせちゃったの、ごめんね……。私の体がネガティブに捉えられて、行けなくなっちゃって、それに付き合ってくれてるんだもん……。本当なら、あなたはアセンション後の平行世界の住人なのに」

「大丈夫。アセンション後の世界はその世界で独自に住人が作られて、同じように生活していくから」

 これはその頃よく言われていたものだった。

 何かにつけてすぐアセンション。それが訪れることは確定していたのだから。

 

 ふと、目の奥に映像が見えた。

 メタバース内の僕、そしてメタバース内のハルカの姿。

 こっちの世界の春花……。

 そして理解した。

 こっちの春花から、ハルカを取り戻し、アセンション後の世界に連れ戻さなければならないと、アセンション後の世界のハルカが消えてしまうということを。

しかし同時に、僕は僕として、アセンション前の世界とアセンション後の世界の僕の存在が混じり合っていったのだ。

 僕は春花とハルカを助け、そしてその全てが終わったら僕自身もそれぞれの世界に戻らなければならない。

 だが、どうしたらいいのだろう。

「啓? どうしたの?」

 ヘッドセットを外した春花がそう言って僕に聞いてきた。

「春花、メタバースは、楽しい?」

「うん。だって……、こんな満足に動けない現実世界なんかより、ずっといいでしょう?」

「それは……」

 僕は言えなかった。実は平行世界ではハルカとしてアセンション後の世界に居るのだということを。

 だって、言ってしまったら、今融合してしまっている春花、ハルカの二人の記憶や人格などが壊れてしまうかもしれないからだ。

 平行世界の、僕の住むメタバースの世界のハルカは絶望していた。あの世界はポジティブなものは残すけれど、ネガティブなものは残酷にも、清々と消していく。

 ハルカを失いたくない。その気持ちに、嘘偽りなんてないんだ。

 またXANAメタバースで一緒に生きたい。そしてもう一人の僕は、メタバースを諦めて、この世界でこの世界の春花と生きることに決めている。

 どうしたら、元のようにそれぞれの世界に干渉せずに元の世界に戻れるだろうか……。

 

「どうしたの」

 

 ハルカと春花が重なる。

 カラカラの声が、ハルカではなく春花のものであると理解させられる。

「僕」の二つの記憶が、同時に溢れ出て来る。

 頭が処理をしきれなくて、その場に蹲ってしまう。

 こんなもの、XANAメタバースにはない。

 こんな風に、痛いのなんて、第一世代の過ごしていた世界くらい……。

 ……? 第一世代だけ?

 じゃあ、どうして僕達はいるんだ?

 

「春花、なんで、第二世代の僕達が第一世代のメタバースに、行けるんだ?」

 

 春花のアバターは第一世代のもの。

 第二世代のものではない。でも、「僕」が来た世界のアバターは、第二世代のものだった。

 これではおかしいのだ。

 何故知らない第一世代の世界に僕達が存在する?

 時間軸までもがずれているのか?

 

「なんでって、私達が第一世代の権利を『買った』からでしょ? そして今は自由に、メタバースで過ごせる。動けない身体から、魂だけを向こうの世界で生かせる。そして、生きていられる」

 そうだった……?

 でも僕達、まだ、「高校生」のはずなんだけれど。

 そんなお金、あったか……?

 

「ねえ、啓。本当に、このメタバースの世界に入れたら、素敵だね。現実は惨いけれども、こっちの世界では平和そのもので、皆何も悩まなくてもいい。恋愛だって自由に出来るし、お腹も死ぬほど空くことはないし、食糧難の時代なんて来なくて……。本当に、理想郷だよね。ほら、綻びのあるこんな世界なんかで、出来損ないの身体を持つ私なんかもいなくて……」

 

そうだ。ハルカも似たようなことを言っていた。

 出来損ないの身体じゃないって素敵だねって、何度も言っていた。

 でも、それは「自分でもわからないけれどそう思う」とも言っていたんだった。

 きっと、アセンション前の現実世界とメタバースの世界の感覚が、上手く別れなかったのが原因だろう。

 しっかりと世界が分断されていなかったんだ。ハルカや、ハルカのように綻びを見つけた人達は。

 つまり、「僕も」ということだけれど。

 

「啓?」

――ケイ!

 

 僕を呼ぶ彼女の声が、二つ重なって聞こえる。

 僕は、どちらの世界を優先すればいい?

 どちらの世界の僕も、どちらの世界の彼女も助けたいと心が叫ぶ。

 

「春花」

「何? どうしたの?」

「あのさ、僕もメタバースの世界、楽しいと思うんだ」

 こちらのメタバースで遊ぶ切り捨てられるべき世界の僕は春花に現実を見せるという選択をすることにしたようだ。

「だけど、そんなメタバースをやっていても、僕達は助からない。僕達の魂は、だって、もう、混沌としていて……」

 世界に亀裂が入る。

「もう戻りようもないくらい、ボロボロで」

 春花の部屋の扉が開く。

 そこには何もない。無があった。

「……やめて。啓。私達、まだこの世界からメタバースの世界へ、理想郷へ移動出来るはずなの」

 そう言って、春花はふんわりとした桜色のワンピースの裾をぎゅっと握りしめる。

「もう気づいているんだろう? ここに居るのは僕達だけじゃない。メタバースの僕達もいるんだ。その僕達に成り代わることは出来ないんだよ」

 現実はそんなものだと諦めを見せる僕に、春花は声を震わせて訴える。

「やめて……」

 本当は、春花も知っているんだ。きっと。

 もう、世界の分断が完璧になるって。

 アセンションに向かって行くポジティブな現実世界と、シミュレーションの世界が重なるその時が、もうすぐだってわかってるから余計に縋り付くんだ。

 大好きだろうが、何だろうが、次元が上がる。

 そうなると次元が上がった時に残れる者とそうでない者とで別れる。

 望んで上がらなかった混沌としたネガティブな世界に残る者も当然いるらしいのだが……。

 どうやら、僕や春花は次元が上がっても自分達はそこに相応しいほど上がれなくて、残されてしまうようだった。

 仕方のないことかもしれない。魂の次元がそこまで達していなかったのだから。

 

「――全てが、零になるから。そうしたら、また、次があるかはわからないけれど、その世界でも、一緒になれたらいいね。春花」

「僕」は春花を抱きしめた。

「啓、次は、もっと丈夫に生まれるよ。そうして、あなたといろんなところに行くの。もっといろんなところで、いろんなことを楽しめるように。もしメタバースがあったら、もっとちゃんと楽しめるように、勉強もしなくちゃね」

 そしてもう一人の「僕」である「僕」は、「春花」から抜け出てきた「ハルカ」を抱きしめる。

「もう世界が、人間が、間違えませんように」

 あちらの僕はそう言うと、僕を見て微笑んだ。

「生きることを、理想の世界を、楽しんでよ。ケイ。僕達がずっと夢に見ていた世界なんだから……。僕達が、手にしたくても手に入れられない世界だったんだよ……。絶対に、楽しんで。絶対に、自由に――」

 最後に見えた僕と彼女……。啓と春花は目を閉じ、互いの体温を忘れたくないと抱きしめ合って壊れゆく世界に吸い込まれて行った。

 全てが闇に飲み込まれていく。

 こうして、世界は一つ、分断されてどこかへと姿を消していった――。

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