黎明
黎明
Chapter 1
/ Episode 1 1話「XANA」
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日浅慎吾《ひあさ しんご》は仕事中だった。 最低限の家具やインテリアを揃えたようなシンプルな部屋。 慎吾の眼前には宙で複数のウインドウが表示されており、手元に浮く半透明のキーボードを用いて、一つの文書を作成していた。 そんな彼の傍で控えているメイド姿の女性が、何らかの作業をしていた様子など見せずに言う。 「マスター、ご依頼の資料の準備が出来ました」 「ありがとう」 慎吾は新たに表示されたウインドウ内の文章に目を通すと、指を動かすことで必要な部分をコピーして作成している文書にペーストしていく。 仕事の進行は順調だ。これなら定時までに終えることが出来るだろう。 慎吾の視界では当たり前のように両手が動いている。無論、それを動かしているのは彼の意思であり、そこには何らの違和感もなく、馴染んでいる。 ──けれど、これは現実世界での光景ではない。 慎吾には今動かしている身体とは別に、確かな身体感覚があった。専用のチェアに深く腰掛けた、彼の本当の身体の感覚が。 仮想世界《メタバース》『XANA《ザナ》』。それこそが慎吾の眼前に広がっている世界の名称だった。 『XANA』は現在主流となっているメタバースであり、今彼が動かしているのは分身《アバター》だ。仕事用なので、頭上には本名が表示されている。 慎吾の現実の身体はヘッドマウントディスプレイ《HMD》を装着しており、それが脳波を読み取る機能を備えているので、念じることでアバターを操作できている。 現代においてメタバース内で仕事をするのは一般的だ。昔は自宅で現実の身体で仕事をすることをテレワークと呼んだが、今はそれよりも進んだ形となっている。 デスクワークと呼ばれるPCを用いる仕事であれば、メタバース内で何の問題もなく行うことが可能で、むしろ物理的な空間に縛られる必要がないのが利点となっていた。 こちらには自分をサポートしてくれる存在も用意することが出来た。 慎吾の傍で控えている女性の姿をしたアバターは、現実の人間が操作しているわけではない。…